<2025.6.1記>
当社が入る岩崎ビル(所在:日本橋茅場町1-11-6)の共用部(通路・共用トイレ)の照明につき、LED照明への交換工事が先々月(4月)をもって無事完了した。当ビルの専有部(貸室部分)は随分前からLED照明に交換済であったが共用部に関しては昔ながらの蛍光灯のままであった為、本体(特に安定器=電流を一定の値に安定させる装置)の劣化が進むにつれて蛍光灯を新品に交換してもすぐには点灯しなかったり、チカチカと点滅し始めたりする不具合も多発しており、そんな薄暗い通路では来訪者に悪い印象を持たれるに違いないと皆が気を揉んでいた。それに当社は当ビルの賃貸管理会社でもあるから他のテナントからの苦情も寄せられる。共用部の蛍光灯からLED照明への交換は当社を含む全テナントが待ち望んでいた改良工事だった。
<2025.5.13記>
「(東京都)中央区で一番速い乗り物は?」と問われたら、「自転車!」と即答して戯れるのが正解だろう。これには銀座・日本橋周辺を主要な営業エリアとする不動産業界人なら腑に落ちるものと思う。他愛も無い「とんち」の類いに過ぎないが、本質はお客様を車でご案内したくとも行く先々で一方通行に阻まれることに対する嘆き節である。
<2024.5.1記>
平成生まれ以降の若者には信じ難いことかもしれないが昭和40年代までは真夏でも扇風機と団扇で涼むのが当り前の庶民感覚であり、エアコン(Air conditioner)を必需品と考えることは無かったと思う。
<2025.4.15記>
学生時代、専攻していた刑法ゼミで所属する学生が検察側と弁護士側に分かれて「未必の故意」について討論(ディベート)する機会があった。争点は「極寒の深夜に凍死することを予見しておきながら泥酔して眠り込んだ知人を路上に置き去りにした(救護をしなかった)人は殺人罪に問われるか?」だったかと思う。「未必の故意」は立証できれば過失を装う悪人を追い詰めることができる法解釈であることは認めるが、強引な決めつけは予見能力不足の人を冤罪に貶めかねない諸刃の剣とも考えられる。加害者に積極的な殺意が無かったとしても、「救護をしなかったら死ぬ」と予見できたかどうか、何らかの動機があって「死んでも構わない」とまで考えたかどうか、人が人の「未必の故意」を見極めるのはとても難しい。