<2024.10.1記>
我々(不動産会社)の仕事は、仕入れた(取得した)不動産に何らかの付加価値を産み出してこそ大義のあるものとなる。仮に安値で仕入れることができた不動産が何もせぬまま高値で売れたとしても、それは投機的な売買と見做されがち、俗に言えば「不動産転がし」と揶揄されかねないのである。我が国には過去バブル経済崩壊の苦い経験があり、「不動産転がし」に対しての銀行の目(≒金融庁の指導)は厳しい。
<2024.9.12記>
日本にとっての昭和39年(1964年)と言えば東京オリンピック開催と東海道新幹線開通のおめでたい年、不動産業界にとっては宅建業法改正により事業が届出制から免許制に移行された節目の年でもある。その昭和39年生まれの私はもうすぐ(今月内)還暦を迎える。不謹慎な物言いだが自分のことだから許されるだろう、建物に喩えれば築60年ということだ。
<2024.9.2記>
井上陽水作詞・作曲の「少年時代」の歌詞「夏が過ぎ・風あざみ」の場面に当て嵌まる季節とは今頃のことを言っているのだろうか。因みに「風あざみ」という植物はこの世には存在せず、ノアザミ(野薊)のことなら初夏に咲く植物。そもそも俳句の世界においての「薊(あざみ)」は春の季語である。「風あざみ」はあくまでもイメージを優先して用いた造語らしいが、その語感は見事に私の脳内に夏の終わり、秋の到来を告げる風景を映し出す。常識では思いもつかない言葉を平然と紡ぐ御大の表現力に改めて己の凡庸を思い知らされる。