【寄稿№11】「私はマダム・ソレイユじゃない!」と、ポンピドー大統領 | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№11】「私はマダム・ソレイユじゃない!」と、ポンピドー大統領




    <2022.7.20寄稿>                          寄稿者 たぬきち
    パリのシャンゼリゼ通り沿いの豪華ホテル「クラリッジ」は、そのファサード(正面壁)が歴史建造物に指定されている。かつてフランスの大作家コレットがここに住み、ベルギー出身のジョルジュ・シムノン(「メグレ警部」の作者)は、「ル・マタン」紙文化担当責任者のコレットから、「文学が多すぎ、もっと簡潔に!」と、指導を受けた。「昼顔」の作者ジョゼフ・ケッセルも、しばしばコレットのもとへ通った。
    稀代の詐欺師アレクサンドル・スタヴィスキー(ウクライナのキーウ出身)もクラリッジで暮らしており、ケッセルと面識ができると、新聞発行人のケッセルの兄と、新聞を創設しないかと打診。たくさん詐欺の前歴があるものの、妻のアルレット(元シャネルのモデル)とともに、政財界ばかりか司法(裁判官・弁護士、警察・検察)の有力者達とも交際。だが、世間の悪評に反論する有力紙がほしかったのである。

    スタヴィスキーに新聞設立費用の小切手を返したケッセルは、第一次大戦の戦闘機パイロットだった。シベリア出兵時にはウラジオストクに渡り、それを記した著作(「シベリアの夜」)もある。同じ「航空作家」アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(「星の王子さま」の著者)とは、旧知の間柄で、モロッコの航空基地まで彼を訪ねて行った。
    クラリッジのロビーで、「クリスマス後に会いましょう!」と愛想よく叫ぶスタヴィスキーに、手を振って答えたのが最後になった。地方銀行詐欺が露見、政府閣僚にも及びそうだということで、南米ボリビアに逃亡と噂された。だがスタヴィスキーは、スイスのシャモニーのシャレー(山小屋)に潜んでいるところを発見され、拳銃自殺。

    ハンガリー復興債疑惑をはじめ、最近の地方銀行債事件までの捜査を担当するアルベール・プランス治安判事が、鉄道線路上で轢死体となって発見され(日本の戦後の国鉄総裁「下山事件」にそっくりだとして、久生十蘭は「十字街」、「プランス事件」を執筆)、左派政府の腐敗を追及する右翼デモが繰り広げられる。
    デモはクーデターを目指したものの、警官隊による発砲で犠牲者を出して終わった。次々に首班が交替するが、そもそものスタヴィスキーの贈賄証拠として、彼が残した小切手帳(発行小切手の半券)を、手品のように見つけたピエール・ボニー警部を、法務大臣は、「フランス最初の警官だ!」と称賛。

    数々の難事件を解決してきたボニー警部は、いかがわしい人物達と常に親しく交際し、時には共犯の疑いをかけられた。情報提供者をもち、今回も、スタヴィスキーの犯罪サークルの人物が協力したものと思われた。
    だが彼も、プランス事件の実行犯として、3人のマルセイユ・マフィアを逮捕したことで失敗。彼らにはアリバイがあり、マスコミを賑わせただけで直ちに釈放となった。ボニー警部は免職になり、マルセル・ギョーム警部(メグレのモデルとも)が後を継ぐ。プランス事件は、治安判事の「自殺」で幕引きとなり、いまは「100年間の封印」で2034年まで資料公開されない。

    ボニー元警部は私立探偵になり、人民戦線内閣のマルクス・ドルモワ法務大臣のために、極右の秘密軍事組織を摘発。ドイツ軍のパリ占領で、「フランスのゲシュタポ」ナンバー・ツーとなり、自由フランス軍のドゴール将軍の姪ジュヌヴィエーヴを逮捕、ドイツの強制収容所送りにした(ソ連軍が解放)。連合軍の手を逃れ出国しようとしたが逮捕され、戦後銃殺刑。
    ケッセルはユダヤ系で、いち早くロンドンのドゴール将軍と合流、レジスタンス運動を紹介する「影の軍隊」を執筆。サンテグジュペリは米国に渡り、米軍の参戦を働きかけ、在米フランス軍を組織しようとした(ドゴール将軍とは不仲)。米軍とともに帰国を果たし、偵察機を操縦して飛行中に行方不明。海中の機体が発見されたが、墜落原因は不明のまま。

    戦後、フランスで一番の占星術師となった「マダム・ソレイユ」(星占いで「ソレイユ=太陽」は芸名みたいだが、本名)は、かつて20歳のときにスタヴィスキーの秘書をしていた。叔母の影響で占星術を学んだが、戦後の「ラジオ人生相談」で一躍有名になった。人心をとらえるテクニックと、人生の変転を見通す哲学とを、若かりし頃の彼女はスタヴィスキーのそばで習得したに違いない。
    1970年代、ドゴール大統領の後継ジョルジュ・ポンピドー大統領は、記者会見で、しかるべき問題の将来展望につき質問され、見通せないという趣旨で、「私はマダム・ソレイユじゃない!」と答えた。フランスではこれが流行語となり、ソレイユ夫人の名声はいっそう高まった。


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