<2022.10.11寄稿>
寄稿者 MAC
昔「ラジオ少年」だったころ、東京といえば秋葉原だった。電気工作をするために必要な、特殊な電子パーツもそろう1970~80年代の秋葉原は世界の最先端を行く電気街であった。現在でこそ、電気街というよりはフィギュアなどオタク系商品でも有名になったが、当時は日本の高度経済成長を支えた家電から、マイコンと呼ばれていたパソコンまでなんでもそろう街だった。
大都市圏では、秋葉原のように専門街が形成されている地域がある。古くは江戸時代から職人街があった。城下町では、職人が住んだ町名を、そのまま残している地域。商人や職人を職種ごとに分けて移住させた名残である。たとえば、呉服町、油屋町、大工町、鍛冶町、紺屋町などは、それぞれ町名で商人や職人の職種がわかる。このような旧地名は、1962年5月10日に公布された住居表示に関する法律により、行政に便利な表示に変更されてしまっているので、少なくなってしまった。現在でも残っている地名としては、銀座(銀貨鋳造所)、日本橋本石町(米などの穀物商)、日本橋室町(土蔵、室があった)、日本橋人形町(人形師)、日本橋茅場町(茅商人)などが、中央区の地名由来のHPで紹介されている。現代では日本橋周辺は問屋街が形成されており、町名と職種が一致しているわけではないが、商業の街として衣料品卸、薬品会社、金融街、築地場外には魚の卸や飲食店が集中している。
同業者が集中している街にオフィスをかまえるメリットがある。たとえば、出版業であれば、千代田区神田神保町には編集プロダクションや印刷、製本、書店が多い。神保町周辺に事務所をもてば、作家、編集者、印刷、製本会社との打ち合わせもしやすい。資料的には世界有数の古本屋街あり、あらゆる新刊書がそろっている。同じ出版社でも医学書関連であれば、文京区の東京大学、東京医科歯科大学、順天堂大学などの医学部がある文京地区に多い。電子・電気関係の出版社は秋葉原の近くにオフィスがあれば、常に新製品情報をチェックできる。
港区青山にはデザイン事務所などが集中している。仕事柄、グラフィックデザイン会社や編集事務所に伺って打ち合わせをすることがある。デザイン会社は初対面の印象やオフィスの雰囲気を重視するため、アクセスのこだわりや内装にそのデザインセンスが現れているといってもいい。オフィスそのものがデザイナーの美意識が反映されている。港区の青山に事務所をもてば一流ということでもないが、やはり世界のブランドショップが集中している地域では、働く人材の意識も変わってくるというもの。オフィスの立地は求人にも影響する。ただし、立地がよければよいほど、賃借料などの固定費も相当負担になる。デザインの仕事の発注は定期的にあるわけではないので、5年も10年も同じ場所で続けるのはけっこう大変だ。たとえば新規に開業した飲食店は1年目で3割、2年目で5割、5年目で8割ほどが閉店するといわれている。店舗の改装や厨房の設備投資にもよるが、数百万から数千万円をかけて、もとが取れる繁盛店に誰でもできるわけではない。
個人事業主や小規模事業者が、都心に事務所を持てるというのは、成功者ともいえる。東京の中心部では一分の隙もないほどビルが建ち、そのビルにいくつもの企業が入っていることを考えると、ビルの数ほど経営者がいるということになる。日本の全企業数約359万社のうち、中小企業は99.7%を占める。都会は経営者の街でもある。
世界の開業率を比べるとイギリスやフランスが約13%ともっとも高く、廃業率も10~12%と高い。日本では開業率が5.6%で廃業率が3.5%と低く、最低レベルである。一部の若手起業家が脚光を浴びることもあるが、まだまだ開業して独立する人は少ない。そこで国や自治体が主体となり補助金・助成金を支給することで、スタートアップ支援をしている。たとえば事業所(オフィス・店舗など)の月額賃借料を補助する制度もある。起業してオフィスを借りるなら、職種に合った専門街が理想的である。インターネットで最新の通信システムを活用し、在宅やリモートで情報収集ができたとしても、地域に根ざした対面での打ち合わせや営業でなければ得られない「成功するための情報」もあるのだ。