<2024.2.29寄稿> 寄稿者 たぬきち
2024年2月9日に死去したロベール・バダンテール元法相(95歳)は、1981年、フランスの死刑廃止を成し遂げた功績に対し、マクロン大統領による追悼式で厳粛かつ盛大に送られ、パンテオン(フランスの偉人の霊廟)入りがふさわしいとされた。
大学教授で弁護士だったバダンテールは、1957年、ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(1964年)で、港町シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の母親役を演じることになる女優アン・バーノン(本名:エディット・ヴィニョー、5歳上)と結婚。
自動車整備工の若者ギイとジュヌヴィエーブの恋物語には、第二次大戦後のアルジェリア独立戦争(1954~62年)が影を落としている。
大戦中、ユダヤ系のバダンテールは家族とリヨンに隠れたが、父親は強制収容所に送られ死亡した。
戦後、同じユダヤ系で米国に逃れ帰国したアンリ・トレス弁護士のもとで、マッカーシズムによって追放されたチャップリンをはじめとする映画人を弁護。結婚も、映画繋がりだった。
だが夫婦は、新生児をふたり続けて失い、1965年、やむなく離婚。バダンテールは、「ユダヤ人はたくさん死んだので、自分にはどうしても子供が必要」という。
彼の死去のニュースを受けて、元妻で今は画家のエディット(100歳)は、離婚とその後の経緯を語り、それがフランスのマスコミ各方面で報道された。
「離婚後も、友情は続きました」。「亡くなる1か月ほど前、彼から電話をもらいましたが、別れの言葉は、ユーモアを込めて、『煉獄(れんごく=天国の前に、死者が至る場所)で会いましょう!』でした」。
翌66年、バダンテールは、文学・歴史・哲学者の左派フェミニストで、世界規模の広告代理店グループ「ピュブリシス」創業者の娘エリザベト・ブルスタイン=ブランシェ(ユダヤ系で15歳下)と再婚、3児をもうける。
結婚後、彼女は大学教授になるが、「ピュブリシス」グループのCEO(最高経営責任者)をもつとめた。
1973年出版の『死刑執行』(藤田真利子訳 新潮社1996年)では、バダンテールは、自身のことも、また、若い頃に薫陶を受けた「先生(名を挙げていないが、トレス弁護士)」のことも、まるで刑事弁護士のように表現しているが、実際は、どちらも企業弁護士であり、バダンテールが裕福な相続人と結婚したのも、彼が「ピュブリシス」の法律顧問をしたからだった。
1965年に、やはり大学教授で弁護士のジャン=ドニ・ブレダンと共同事務所を設立。
1971年、ブレダンの異母弟フィリップ・ルメール(刑事弁護士で、1981年、佐川一政事件の弁護人)から、クレアヴォー刑務所での脱獄未遂事件のクロード・ビュッフェとロジェ・ボンタンの裁判で、ボンタンの弁護人として協力してほしいと依頼され、この経験が転機となった。
ボンタンは元パラシュート部隊兵士でアルジェリア戦争に従軍。タクシー強盗で懲役20年。
ビュッフェは元外人部隊兵士で、インドシナやアルジェリアで従軍。一人の女性に対する強盗殺人で、終身刑に服していた。
バダンテールは、軍師のように、刑務所医務室の看護婦の喉を切り裂いたのはボンタンでなくビュッフェであることを証明しようとする。
得意の法廷弁論で陪審を説得できたのに、判決は共に死刑だった。ポンピドゥー大統領の恩赦もならなかった。
ボンタン事件の経験から、バダンテールは、猛然と死刑廃止運動に取り組むことになる。
社会党支持の左派弁護士として、フランソワ・ミッテラン政権の法務大臣になり、死刑廃止法案を推進。1981年、成立した同法は、「バダンテール法」と呼ばれている。
バダンテールの妻エリザベトは、1980年出版の著書『母性という神話』(鈴木晶訳 筑摩書房1991年)で、母性愛は本能でなく歴史的に形成されたものにすぎないと説き、たちまちフランス・フェミニズムの第一人者となり、みずからも「ボーヴォワールの娘」を名乗った。
夫と同様、社会党を支持しているが、政党やフェミニズム団体に所属したことはない。
サルコジ大統領のあとを受けて、フランソワ・オランド大統領が誕生した2012年フランス大統領選挙では、当初、社会党と中道左派が推すドミニク・ストロス=カーン(DSK)国際通貨基金(IMF)専務理事が最有力視されていた。
だが彼は、ニューヨーク滞在中の高級ホテルで、ギニア出身の客室係の女性をレイプした容疑で訴追され(のち和解)、IMFを辞任(後任は、クリスチーヌ・ラガルド)、大統領予備選にも出馬できなかった。
DSKと親しいバダンテール夫妻の見解表明が待たれたが、夫は「推定無罪」原則が破られたのは遺憾と繰返し、妻は「フェミズム運動は、スキャンダルを利用する必要はない」と、逆に活動家をたしなめた。
マスコミや活動団体は、夫妻は自分達の「カースト(社会階級)」を守ろうとしているだけだと反発。
またエリザベトは「世俗主義(ライシテ)」の信奉者として、「ブルカ(イスラム女性の被り物)」の着用に反対。2017年には、「イスラムファッション」を手がけるブランドの不買を呼びかけた。
これに対しても、サウジアラビアで最高利益を上げている「ピュブリシス」のオーナーが「イスラモフォビア(イスラム嫌悪)」とは、と非難されている。
2024年、亡夫の追悼式を前にして、エリザベトは、RN(フランス国民連合=極右から中道右派に移行しようとしているマリーヌ・ルペン党首の政党)と、LFI(不服従のフランス=極左から中道左派の包含を目指すジャン=リュック・メランション代表の政党)関係者には、参列してほしくないと表明。
ルペンは「遺族の意志を尊重」して欠席したが、メランションは「国家行事に参加は当然」と語り、LFI議員数名が出席。
エリザベトは拒絶の理由を語っていないが、ルペンは「死刑復活」論者。メランションは、このたびのパレスチナ紛争で「反イスラエル」の立場をとっている。
2022年7月、エリザベトは、欧州諸国の有識者とともに、「メディアにおける未成年者の「ジェンダー変更」への客観的アプローチのための欧州宣言」に署名した。
「私たち、人文・社会科学の科学者、医師、学者は、フランス、ベルギー、ドイツ、イギリス、スイス、その他のヨーロッパ諸国の公共サービスや民間メディアに対し、大勢の視聴者を対象とした番組で、子どもの「性別違和」に関する真剣な研究と科学的に確立されたデータを忠実に伝えるよう、呼びかけます。学校や教育の場における性教育については、子どもや青年がダイナミックな発達過程に関わっているという事実を尊重することを求めます」。
「現在、あまりにも多くの番組やレポートが、「トランス・アファーマティブ」活動の根拠のない主張を一方的に伝えており、多くの場合、客観的な評価も行われていない」。
「テレビ番組やその他のメディアからのこれらの挑戦的な繰り返しの圧力は、いわゆる「出生時に割り当てられた性別」に同意しない場合、「自己決定」の名の下に、何歳でも性別を選択できると主張するイデオロギーを正当化し、矮小化します。それらは若者に洗脳効果をもたらす可能性があり、ソーシャルネットワークを通じて絶えず増幅されます」。
「性適合は、思春期の問題に対する奇跡的な解決策としてしばしば提示されます。その結果、「トランス」を自認する若者の数が増加し、その数は10年足らずで25倍に増加しました」。
「その一方で、「脱移行」する若者の数は増え続けています。彼らは「移行」によって深刻な身体的ダメージを受けており、医師、精神科医、その他の医療専門家によって受けてきた表面的な扱いを証言しています」。
「人は自分の体の外見を変えることはできても、染色体の基礎を変えることはできません」。
2022年出版の『トランスジェンダーの子どもの製造、あるいは未成年者を健康スキャンダルから守る方法』で、児童精神科医のカロリーヌ・エリアチェフと精神分析が専門の大学教授セリーヌ・マッソンは、未成年者をめぐる、行き過ぎた「トランスジェンダー主義」に警告。
題名の「製造(ファブリーク)」には、「捏造(ねつぞう)」の意味もある。
ホルモン療法や外科的治療は、健康な子供を生涯「患者」にするという事実に加え、「移行(性転換)」への欲求に対するあまりにも迅速な肯定的対応は、当人の心理的構造を損傷する危険性がある。
「思春期ブロッカー」や「拮抗ホルモン」の早期処方がなされる一方で、この「移行」を後悔する声がある(脱移行)。
彼女達は、子供と青少年に関するイデオロギー的言説の監視機関「リトル・マーメイド」を運営。この「マニフェスト」の主催者でもある。
米国でも、子どもの性転換に関する方針を転換し、ついに脱移行者による警告に耳を傾けているようだ。ニューヨーク・タイムズ紙は、脱移行者、心理学者、医療専門家へのインタビューを特集した記事を掲載し、子どもに対する「ジェンダーを肯定するケア」と呼ばれるものに反対するよう促した。
記事は、17歳でホルモン剤の投与や二重乳房切除術などの性別移行プロセスを開始したグレース・パウエルという少女の物語から始まっている(パメラ・ポール「子供の時、彼(彼女)らは「トランス」だと考えた。今では、そう思わない」2024年2月4日記事。
これまでの促進傾向の「潮目が変わったか?」と言われている。
1988年出版のロベールとエリザベトの共著本『コンドルセ、政治の世界のある知識人』では、18世紀の啓蒙思想家コンドルセが説いた「フランス革命の理念(自由・平等・人権尊重)」が、現代の教育と政治にも深く影響を及ぼしていることを示唆。
二人三脚の歩みを終え、エリザベトは、子どもの「性別違和」対応の是正に邁進するのだろうか。