【寄稿№73】パイド・パイパー(ハーメルンの笛吹き男) | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№73】パイド・パイパー(ハーメルンの笛吹き男)




    <2024.10.7寄稿>                                            
    寄稿者 たぬきち
    2024年1月、ドイツのシュタインマイヤー大統領は、「われわれは、過激派の『ラッテン・フェンガー(ネズミ捕り)』らに、この国を破壊させないということを、企業、文化、社会全体で明確にしなければなりません」と、国民に向けた演説で語った。

    前年末、オーストリア極右とドイツの保守派が、東部ポツダムで会合。
    難民の強制送還策を「レミグラツィオン(再定住)」と言い換えて話し合った。
    ナチスがユダヤ人問題の「最終解決」(これも、言い換え)を決めた悪名高い「ヴァンゼー会議」(1942年1月)の場所と近かったこともあって、こうした動きに強い反対運動が起こった。

    大統領の言葉もその一環だったが、8月、西部ゾーリンゲンで、シリア人による無差別殺傷事件が発生し、国論は一転。
    難民排斥が追い風となり、9月の東部各州選挙では、極右政党「AfD(ドイツのための選択肢)」が躍進。オーストリア総選挙でも、極右「FPÖ(オーストリア自由党)」が第1党となった。

    「ラッテン・フェンガー」は、「ハーメルンの笛吹き男」を意味するドイツ語。
    ドイツ北西ハノーヴァーに近いハーメルン市の伝説は、グリム童話を通じて世界中で知られている。
    グリム兄弟の伝説集での題名は、「ハーメルンの子どもたち」。
    笛吹き男はカラフルな衣装を着ていたので、それを意味するドイツ語で「ブンティング(色とりどり男)」とも呼ばれたという(池田香代子 訳『ハーメルンの笛吹き男』)。

    イギリスの詩人ロバート・ブラウニングは、英語で『パイド(カラフルな)・パイパー(パイプ吹き)』と呼んだ。
    ヴェーザー川畔のハーメルンは、水車を利用した粉ひきが盛んなため、穀物をねらうネズミの大群に悩まされていたのだった。
    「あーあ、問題はねずみ捕り、ねずみ捕りだよ!」
    「はいってきたのは、とてもふしぎなかっこうの人でした!」(長田弘 訳『ハーメルンの笛ふき男』)。

    笛に導かれたネズミたちは、みんなヴェーザー川へ跳び込んでしまった。
    けれども市長は、ネズミ退治の報酬約束を守らず、怒った笛吹きは、子どもたちを山の洞窟へ連れ去った。
    「やくそくしたら、やくそくは、まもらなくてはいけないからだよ!」

    フランスでも、『カルメン』の作者プロスペル・メリメは、『シャルル九世年代記』1829年(石川剛・石川登志夫 訳)の冒頭で、ジプシー女(原文では、ボエミエンヌ=ボヘミア女)のミラに語らせている。
    「で一番不思議なことは、丁度その頃、ずうっと離れたトランスシルヴァニヤにドイツ語を話す子供が大勢現はれたことです」。
    要は、移民伝説なのだという。

    メリメは、グリムの伝説集そのままをフランス語で紹介しただけだったが、イギリスの小説家ネヴィル・シュート(核戦争を描いた『渚(なぎさ)にて』1957年の作者)は、『パイド・パイパー』(池 央耿 訳)の表題のもと、第2次大戦下の1940年夏、それぞれに託された7人の多国籍の子どもたちを引き連れ、スイス国境近くから戦下のフランスを斜め東西に横切り、ドーヴァー海峡を渡って帰国を目指す元弁護士ハワードを描いた。

    ハワードは、ハシバミの枝で子どもたちに笛を作ってやり、子どもたちと歩いた。
    だから「パイド・パイパー」なのだが(1942年出版)、その執筆は1941年(ブリッツ=ロンドン大空襲の年)という、まさに同時代の産物であることに驚く。

    シュートの小説中の描写とまったく同じような、こちらは事実そのものをフランス女性が記録している。
    1940年6月10日、学校教師の彼女は、看護師姿に赤十字マークをつけ(おそらく修道女)、大勢の生徒を引率してパリのアウステルリッツ駅から南西部ボルドーを目指す。
    先のハワードの出発は、6月11日だった。

    苦労して乗車したものの、途中で何日も停車し、ついに下車した街の救護所に入り働く。
    貧しい少年が、スープを飲みにやって来ます。彼は凍りついていて、とても悲しんでいます。 13歳ぐらいかな。彼は進んで自分のことを話します。彼の声は穏やかで、誠実で、冷たい。
    彼の家はドイツ軍の砲撃で壊れました。彼は死んだ両親のそばにいました。
    「はい、マダム。二人とも動かなくなったので、僕が庭に埋めました。それから自転車で出発しました。ねえ、僕はどこに行けばいいの? 」
    「私を手伝ってちょうだい、パンが切れるかな?」

    6月14日に到着した若いベルギー人女性のことを覚えています。
    彼女は5月10日、ベルギーのナミュールを徒歩で出ました。
    ブリュッセルからフランスに渡り、フランドルの戦い、ソンムの戦場をくぐり抜け、パリに到着し、助かったと信じたのに、再び徒歩で出発しました。
    彼女は赤ん坊を抱えてここへやって来た。
    彼女は子どもを指して私に言いました:「ほら、彼はそれほど苦しんでいませんでした」。
    彼女自身もただの骸骨だった。

    別の女性は、赤ん坊の部屋に座って、子どもたちが水を飲むのを眺め、ブラウスを開けて、かわいそうな、ほとんど空になった乳房を赤ん坊に与えた。
    それから彼女は私を見て尋ねました、恥ずかしそうに:「私も、少し水を飲んでいいですか? 」
    授乳のせいで?
    アンヌ・ジャック『あるフランス人女性の日記』(1945年)

    米ピューリッツァー賞受賞作家スティーブン・ミルハウザーも、最新の短編集『Disruptions(混乱)』(2023年)収録の「ガイド付きツアー」で、ハーメルンのそれを扱っている。

    「オーセンティ(ほんもの)」ツアーのガイドが、17人の観光客に、「笛吹き男」の物語をどのように再現したかを説明しながら歩く。
    「遠い昔の出来事の『ほんもの体験』をお約束します。全員無事に洞窟の中へ入れましたか? 」
    ええっ、「ほんもの」ということは!

    2024年9月、ニューヨーク市は、史上初の「全国都市ラット・サミット」を開催。
    エリック・アダムス市長としては、全米トップクラスのネズミの害に苦しむ市民を助け、これを全米に宣伝するつもりだった。
    市長の自宅前庭でネズミの巣穴が見つかって、自分が罰金を課せられ、ネズミに対する憎しみがいっそう増した。

    アダムス市長が、サミット開会の辞を述べる(NY市公報)。
    「ネズミは私たちが思っている以上に生活の質に影響を与えます。
    常にここにあった問題にどのように対処しますか ? 
    それが『パイド・パイパー』なのか、それとも私たちが聞いた話のどれかはわかりません。
    私ほど、ネズミがどれほど嫌いかを語る市長はいないと思います。
    私が『公共の敵ナンバーワン』と考えるもの、ミッキーと彼の乗組員に対して、どのように団結するかを考えてみましょう」。

    しかし、ニューヨークのネズミに目立った変化はなく、毒餌を蒔いたものの、個体数の減少効果は上がっていない。
    毒餌は、ネズミ以外の小動物に危害が及ぶと、動物保護団体から指摘があり、これからは不妊剤を用いることになった。
    だが、それによる個体数減少効果は、これから1年経たねば知ることができない。

    いま市長は、外国から賄賂を受け取っていた容疑で、連邦大陪審で起訴されている。
    警察長官や教育長の辞任、市長側近の顧問らにも捜査の手が。
    裁判は有名な刑事弁護士に委ねるとして、ネズミ被害から市民を守ることで、わき起こりつつある辞任要求を押し戻したい。

    「あーあ、問題はねずみ捕り、ねずみ捕りだよ!」
    「はいってきたのは、とてもふしぎなかっこうの人でした!」


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