<2024.11.5寄稿>
寄稿者 たぬきち
2024年8月、米探査チームが、長年の努力の末、ついにフランス船「リヨネ」号の残骸を発見した。
イギリスの豪華客船「タイタニック」号ほど知られておらず、かつ、「タイタニック」のように原型をとどめていない。
だが、「リヨネ」も、決して無名の存在ではなかった。
SF冒険小説の元祖ジュール・ヴェルヌは、「リヨネ」沈没の14年後(1870年)に出版した『海底2万里』(荒川浩充 訳 創元SF文庫)の中で、カナダ東岸を潜水航行する「ノーチラス」号のネモ艦長に、「リヨネ」を含め、このあたりが沈没船の墓場だと語らせている。
1856年11月1日、定期客船「リヨネ」号1,600トンは、国際郵便物ほかの貨物とともに、乗組員85名、乗客160名(諸説あり)を乗せ、フランスのルアーブルに向けニューヨークを出港。
3本マストの帆に加え、蒸気機関でプロペラ(スクリュー)を回す推進機構をもつ。
東へ向かい、ナンタケット島やケープ岬を過ぎたあたりで、同2日夜11時となり、客室も消灯。同夜は晴天でも、海上は濃い霧に覆われていた。
米帆船「アドリアティック(アドリア海)」号824トンは、北部メイン州ベルファストから南部ジョージア州サバンナまで木材を運搬中で、北風を受け南下、「リヨネ」号と遭遇。
「リヨネ」は衝突を回避しようと、右舷方向へ舵を切ったものの、「アドリアティック」は、帆船の尖った舳先(へさき)を衝角(しょうかく=突きつの)のようにして、「リヨネ」の船体中央へぶつかった。
水上部分は、それぞれに損傷したものの、どちらも大した支障なく見えたため、「アドリアティック」のダーラム船長は、そのまま航行を続け、マサチューセッツ州グロスターの最寄り港に向かい、2日後に到着して損傷箇所を修理。
その後、本来の目的地であるサバンナで荷を下ろした。
「リヨネ」のドゥヴォー船長は、船腹の水面下にも穴が開き、浸水し始めたことに気づいた。水密隔壁はあったものの、機関が止まり、排水ポンプも石炭の粉まじりの海水によって停止。
船長は積み荷の海中投棄を命じたが、沈没は必至と判断。
以後、2昼夜かけて、総員で筏(いかだ)を作る。
同船備え付けの救命ボートは、乗客と乗員の半分しか収容できないのだった。
女性乗客3人を含む16名の生存者を乗せたボート1隻が、他船に救助されるまでの3日間、海上を漂流。
当初は18名だったが、冬の嵐が襲い、寒さと飢えと疲労で男性2人が死んで海中に投棄された。
生存者によれば、ボートと筏が「リヨネ」を離れたとき、船長と数名の乗組員の姿がまだ船上にあったという。
荒海で、急ごしらえの筏はすぐバラバラになり、他に見つかったボートもない。
次に「アドリアティック」号は、仏マルセイユ東のラ・シオタ港に向け、サバンナで荷を積んで出航した。
沈んだ「リヨネ」号は、リヨンの裕福な商人ゴーティエ兄弟が設立した「フランコ・アメリケーヌ」社の持ち船で、フランスとスコットランドの造船所で建造された9隻の姉妹船の1隻だった。
ラ・シオタ港で「アドリアティック」は差し押さえられ、ダーラム船長は拘束されて、ゴーティエ兄弟に訴えられた。
自国領海外の事故であっても、フランスの船と人が被害者である以上、フランスの裁判所で提訴可能とされたものの、ダーラム船長は隙をみて出国してしまった。
第二帝政初期のナポレオン3世は、商工業を奨励、造船業にも肩入れしていた。
ゴーティエ兄弟は、米英の大西洋航路定期船の向こうを張って、ルアーブルからリオデジャネイロ、ニューオリンズ、ニューヨークの3路線を定め、競争参加。
だが米英政府は、郵便物の取扱いを理由に、自国の定期船に高額の補助金を支給しており、フランス側は、価格競争で太刀打ちできなかった。
また米ヴァンダービルト財閥などは、超豪華客船で富裕層を惹きつけた。
そこでゴーティエ兄弟は、ナポレオン3世政府に支援を請願したものの、補助金は得られなかった。
そうした中での「リヨネ」喪失が引き金となり(船体と積み荷は保険に入っていたものの)、沈没事故の翌1857年、兄弟の会社は倒産した。
1855年の第1回パリ万博成功、1856年のクリミア戦争勝利と、ナポレオン3世の威勢が増した時期であったのに、なぜ皇帝は、大西洋航路には無関心だったのだろう。
実際には、彼が産業奨励に真剣に取り組むようになるのは、帝政に批判が増す治世後半に至ってからのことだという。
なにしろナポレオン3世は、クリミア戦争の勝利により、16世紀に、オスマン帝国(トルコ)のスレイマン大帝がフランス王に与えた「聖地管理権」(聖地エルサレムのキリスト教会の保護権)を、ロシア皇帝から奪い返したほどであり、こうして現代にまで至っているのである。
2024年1月、イスラエルのフランス領事は、エルサレムの聖墳墓教会(キリスト磔刑の地)のミサに出席し、さる10.7ハマス・テロの際、フランス系ユダヤ人を守れなかったことに遺憾の意を表した(お詫びのようだが、「聖地管理権」を強調し、聖墳墓教会の敷地も「フランス領土!」であると言っている)。
さて、沈没船の発見はこれに限らず、2022年3月には、英シャクルトン探検隊の南極探検船「エンンデュアランス」号も、南極海の海底で見つかった。
ロアルド・アムンゼンが1911年12月、最初に南極点に到達して数年後、シャクルトンは史上初の南極大陸の陸路横断を考えていた。
しかし1915年11月、エンデュアランス号は海氷に閉じ込められて沈没(『エンデュアランス号漂流記』木村・谷口 訳 中公文庫)。
ノルウェーの英雄アムンゼンの探検船「フラム」号は、ノルウェーの首都オスロの「フラム号博物館」に展示されている。
オスロ市内から、博物館行きフェリーで湾内を渡ったため、オスロ対岸の島だと思っていたが、地図を見るとオスロ郊外からのびている半島にすぎなかった。
「フラム」号は、博物館のホール中央に展示されていて、甲板に上がることも船内にもぐることもできる。
船体も船室も木で覆われているため、「こんな小さな木造船で南極海へ!」と驚いたが、実際には、中身は鋼鉄のお釜のような構造で、押し寄せる氷に押しつぶされることなく、氷上にせり上がる仕組みなのだという。
オスロの古書店で、ノルウェー語の『アムンゼン著作集』を買い、いつかこの翻訳をと、引っ越すたびに持ち歩いたが、今では、オスロの王立図書館のサイトで見ることができる。
世界一有名な沈没船「タイタニック」号は、最近になって、見物の深海探査艇「タイタン」の遭難で、再び話題になってしまった。
2023年6月、「タイタン」は有名な沈没船に向かう途中で押し潰され、艇内にいた5人全員が即死した。
その前は、ジェイムズ・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット主演のハリウッド映画『タイタニック』(1997年)である。
流れてきたドア板にローズを押し上げ、自分は水中に留まって、「ここで死んじゃいけない。君は生き延びて、子どもをたくさん産み育て、暖かいベッドで死ぬと約束してくれ!」と励ましたジャックは、力尽きて死んでしまう。
「タイタニック」号が沈没した1912年が前提のセリフだから、現代の読者にはどうなのだろう。
それ以上に、映画の上映直後から、有名無名の観客たちが、「ジャックも板に乗ればよかったのに」と評したのだという。
それが25年経ってもおさまらないというので、キャメロン監督は、わざわざモデルを使って、「ほら、二人だと水が上がってきて、どちらも低体温症で死んでしまう」と示してみせた。
現実は、「リヨネ」号の例のように、途方もなく苛酷なうえ、「リヨネ」遭難の教訓は、それから50年後の新造船「タイタニック」号にも生かされておらず、必要な半数の救命ボートしか備えられていなかった。
水上の1枚の板をめぐる2人の人間の死闘は、ギリシャ哲学「カルネアデスの舟板」の命題で有名。法学生には、これが刑法でいう「緊急避難」であり、殺人の罪に問えないと教えられる。
また、車の自動運転が始まった頃には、いわゆる「トロッコ(トロリー=電車)問題」で、転轍器(てんてつき)を切り替えて(あるいは切り替えず)、作業員5人を見殺しにするか。それとも他の1人を犠牲にすべきかと問われたものだった。
人命がテーマとはいえ、科学の進歩に応じて生じる問題のため、議論には明るい面がなくはなかったように思う。
だが最近、調査報道機関+972 MagazineとLocal Callが、イスラエル軍の攻撃用AI「ラベンダー」は、10パーセントの「コラテラル・ダメージ(巻き添え)」を許容していると指摘した。
ここに救いはあるのだろうか。