<2024.11.21寄稿>
寄稿者 ふんふん武丸
賃貸物件を管理する仕事をしていたときのこと。あるとき、「○○号室から何か変な臭いがしているので確認してほしい」という通報があった。どんな種類の臭いかを尋ねると、「よくわからない」との返答。部屋の借主にまずは連絡してみたが電話に出ないので、おそるおそる現地に駆け付けた。ひとまず該当する部屋番号の郵便受けを見てみると、大量のチラシと郵便物がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。ただならぬ気配を感じつつ部屋の前まで行くと、確かに「変な臭い」がしており、インターホンでの応答もなかった。
臭いの正体はなんなのか。そのとき一緒に駆け付けた同僚と私とで一致した意見としては「ひとまず最悪の事態ではなさそう」、だった。万が一の場合は警察だ消防だ、などと頭をよぎっていたが、耐えがたい悪臭というほどでもなく、事件性を予感させる雰囲気もなく、ただ何かはわからないが変な臭いがうっすら漂っている。無理やり表現するなら「多種類の香水やら化粧品やらが混ぜ合わさったような臭い」だろうか。気にしない人もいるだろうが、気になって通報したくなる気持ちも理解できる。一応、管理会社として入居者に確認をとろうということになった。
やっとのことで借主と連絡がとれたのは良かったが、そこで新たな問題が発覚。借主は医師の仕事をされている高齢の方だったのだが、「自分はいま遠方(他県)に住んでいて、そこにはもう住んでいない。知人の女性に住まわせている。」などとおっしゃるのだ。「先生、だめですよ。それは又貸しで、賃貸借契約書にも禁止事項として書かれていますよ。契約違反ですよ。」と口すっぱくお伝えすると「家賃は滞納していないし、問題はないだろう」と悪びれる様子もなく、さらに「僕のほうもその女性とは連絡がつかなくて困っているところ」などと、これまた厄介なことをおっしゃられた。
そんなこんなで協議の結果、ひとまず室内に立ち入って様子を見るということになった。本来、借主である先生に対処してもらうのが筋だが、なにせ遠方におられることと、忙しくてすぐには行けないなどの理由で代行をお願いされてしまった。口頭で借主の許可は得たとはいえ、実際に入居しているのは別の方であり、その方の許可なく立ち入るのは住居侵入罪にあたらないだろうか、と社内でも一瞬ざわついたが、どうするのが正解かの確信が持てないまま、メーター等で留守であることを慎重に確認したうえで住居の中へ入らせていただいた。
しかしそこでまたしても別の問題が発覚する。室内は大量の物という物が散乱して山積みになっており、人が動ける空間を探すのが難しいほどの、いわゆるゴミ屋敷の様相だったのだ。外まで漂っている臭いは、いろいろなものが混ざり合っていてさらに何だかわからない。何かの液体で床が腐食している箇所や、支える物の重さで建具が破損している箇所なども見られた。
このように通常使用の範囲を超えていて何かしらの損害が出ている場合は「善管注意義務」の違反というのが問題になる。「善管注意義務」とは「善良なる管理者の注意義務」の略で、民法に規定されているものになるが、賃貸借契約での「善管注意義務」は、借主が賃借物件を管理者として注意しながら大事に使わなければならない、というものだ。賃貸借契約書の中にもこのことについては触れられており、原状回復にかかる費用を貸主と借主のどちらが負担するか、という判断ポイントにもなっている。
入居者はどこへ消えたのか、契約の解除を言い渡すとしても退居に応じてもらえるだろうか、など考えていったんは頭を抱えたが、心配はつかの間で、借主である先生から謝罪とあわせて1か月以内に退居するとの申し入れがあった。同時に、原状回復に要する費用も全面的に負担する、とのお言葉をいただき、貸主であるオーナーのほうもご納得されて、明け渡しと原状回復に問題がなければ違反に関して違約金の請求などは行わない、ということになった。最終的には、片づけが難航して明け渡しまでの期間が1か月では済まなかったのだが、特に事態がこじれることもなく契約終了により収束したのだった。
不動産取引では、これは契約上どうなのか、法的にどうなのか、と思い起こさなくてはならないことがたびたびある。ただ部屋を貸す、借りるというごく一般的な契約であっても、ちゃんと契約書を読んで理解していないと無自覚にやってしまったことが損害賠償に発展してしまう、というのも珍しくない。何事も「契約したら終わり」にしてしまわず、契約のうえに成り立っているものがあれば、「これは契約上どうなのか」というのを日常的に意識しながら過ごすようにしたいものだ。
それにしても、あれから何年も経つというのに臭いの記憶はなくならないという不思議。片付いた後の部屋を見たときの感動も忘れられないが、清掃を専門にされている方々には本当に頭が下がる思いだ。自分もズボラなほうなので、家から変な臭いを出さないように気を付けたい。