<2018.5.8記>
その若者は、20代半ばで「賃貸併用住宅」の利点に気付いた。今から15年も前のことである。永住権を取得して間もない彼が住宅を取得するにあたり、物件価格比100%の融資を受けて賃貸併用住宅を取得するに至ったことは、M銀行の的確なアドバイスがあったことを割り引いても驚きの事実である。
<2018.4.24記>
不動産業界に限らず、営業職において「過剰」なサービスは禁物である。誤解を恐れずに言えば、「誰かのサービスを「過剰」に肩入れするということは、誰かのサービスを削る」ということになりかねないのだ。
<2018.4.17記>
私は、30代から不動産投資(収益物件の購入)を始めていた。会社を設立してからも売上げを安定させるべく賃貸用不動産を増やすことを心掛けている。だが、空室で困ったことは無い。
<2018.4.10記>
今週は、契約・決済がたて込んでいるのでコラムの執筆を休もうと思っていたら、看過できない人騒がせな紛争をTV報道で知るところとなった。当事者でもないのに看過できないのは決して得することのない私のつまらぬ性分だ。
<2018.4.3記>
同じ不動産業界で私と対極の経営方針をとる友人がいる。独立して20年経過して尚、現に会社が存在し、財を成しているのだから「成功者」と言って良いだろう。また、対極にあるからと言って私はこれを何ら否定するものではなく、本コラム欄8.「登山」で述べた通り、投資家の選択肢がそれぞれ異なるのと同じだと思う。経営者もそれぞれが信ずる道を行けば良いのであり、我が道を行く頑固さは頼もしくもある。
<2018.3.27記>
私は、学生時代、吉祥寺(北町)に住んでいた。静岡出の田舎者だった私は、吉祥寺が若者に人気のトレンディーな街であることなど入学後しばらくして知ったことである。
<2018.3.20記>
私は、不動産会社の心意気として「いざ、鎌倉」という言葉が好きだ。謡曲「鉢の木」は、私の中学生時代に教科書で読んだものと記憶している。
<2018.3.13記>
「限界」といっても、私の肉体的、精神的限界の話ではない。
これから、日本社会が直面する問題であろう「限界マンション」の話だ。
昭和40年頃から積みあがった日本の分譲マンション供給戸数は累計600万戸を超えた。その内で旧耐震での供給戸数は約104万戸。旧耐震であろうが新耐震であろうが「永久」に傷まない物は無く、いずれ「リノベーション」の時代から「スクラップ&ビルド(=建替)」の時代を迎えることになろう。
<2018.3.6記>
自画自賛と言われかねないが、当社のスケルトンリフォーム工事(室内の全内装を解体撤去、配線・配管に至るまでのフルリフォーム)によって再生された区分マンション(特にコンパクトタイプ)をお客様にご見学頂くと「あれ?さっき見た同じ位の面積のマンションより広く感じる。」との感想を持たれることが多い。
<2018.2.27記>
不動産業界といっても、分野は多岐に渡り、その業務毎にスタッフの適性は異なる。不動産会社の人材の採用基準はそれぞれ違うと思し、あくまでも「思うところ」であるので、参考意見とでも思って頂ければそれで良い。
<2018.2.20記>
コラム18.「P店(前編)」には、売主側にもう一つのドラマがあった。私は、ブローカーが持ち込んできた土地情報に目を通した瞬間、P店のA社長が買うであろうことを予見した。それ程魅力ある一等地であったのだ。
だが、情報の真偽は不明だ。案の定、情報ルートを確認すると「先の先に・・・。」(コラム3.「あんこ」参照)
<2018.2.13記>
随分昔の話だが思い出深い取引がある。当時私はS銀行の御用聞きに力を入れていた。接触すべきキーマンは取引先課長だった。