<2021.8.2記>
その痛ましい事件が発覚したのは2011年の年始めである。大阪府豊中市で60歳代の姉妹がマンションの一室で極度に痩せ細った変死体で発見された。「資産家が餓死した。」というあり得ない主語と述語の組み合わせが衝撃的であった為、日本経済が直面したデフレスパイラル末路の象徴的事件として私の脳裏に深くに刻まれることとなった。正確に言うと発見時は死後20日以上経過していたと推定された為、2010年の年の瀬の出来事であり、事件性は無く、複数人ながら「孤独死」に該当する事案である。また、死の直前は食糧も底を突き、所持金は僅か数百円、電気・ガスの供給も停止されるに至る生活困窮の状態にあったので「元資産家の」と言わざるを得ない。検死の結果、二人とも胃に内容物が全く無かったことから「餓死」で間違いないと思われる。お二人のご冥福を祈りつつ、不動産業に携わる者の立場からこの事案の所見を述べたい。
不運の始まりは、銀行の重役まで務めたという資産家の父上が相続対策をせぬまま姉妹に沢山の不動産を遺してバブル期に亡くなったことだろう。不動産価格の歴史的高値圏で相続評価を受けたとすれば、莫大な相続税が賦課されたものと思う。当然、姉妹は不動産の売却・物納による相続税の納付を考えたと思うが、躊躇する内に日本経済のデフレが急速に進行したものと考えられる。富への執着心とプライドが邪魔して値下がり局面で売却を決断できなかったのかもしれない。最悪の決断は、相続税(延納?)と生活費支払いの財源としての家賃収入を得ようと、相続した土地に多額の借金をしてまでもマンションを新築したことだった。その建設資金を借入れ、「貸家建付地」として相続評価を引き下げることを考えねばならぬその人は本来「父上」だったと思う。
その後、日本経済が「インフレ」傾向に転じたなら、時の経過と共に「不動産価格」は「大(高)」となり、借金は「小(軽)」となったはずである。おそらく総資産に占める現金や換金性の高い金融資産の比率もアンバランスだったのだろう。金融のプロだったはずの父上の職業があまりにも皮肉に感じられる。とかく「大地主」と称される資産家は、ご先祖に気兼ねして土地を手放すことができない傾向がある。しかしながら、現在の相続税法の下では広大な土地を個人資産として保有し続けることに執着し過ぎると大きなリスクも伴う。よって、次世代の為にその資産を守り抜くには十分な税務対策と運用(活用)、時として一部「売却・物納」という英断が求められるのである。
尚、姉妹は大家業を始めるにあたり、私の言うところの「腹六分目」の考え方を理解すべきだった。(コラム№98.「苦言」参照)また、姉妹に多額の建設資金を貸し付けた銀行も上辺の「不動産担保力」のみを評価してしまった可能性がある。銀行が見抜くべきは賃貸事業者としての「経営能力」だったと思う。せめても事業計画の健全性を見誤った貸し手(銀行)の責任として、不動産を差し押える前に貸付期間を見直して姉妹の滞納を回避しつつ、任意売却を模索する等、何らかの救済措置を講じることはできなかったのだろうか・・・。結果だけを見れば「貸さぬも仏」の方が正しかったことになる。また、入居者が集まらなかったとされるが新築の居住用賃貸物件がそこまで人気が無いのはとても疑問に思う。(事業計画当初から賃料設定そのものが市場を逸脱していたのでは?)
大阪地裁執行官が「自己破産」、「生活保護申請」を勧め、姉妹がそれを「拒否」したことになっているが真相は藪の中である。「勧めた」と言っても何処まで親身になって話したものかは判らない。豊中市の担当者の連絡方法も事務的な「置き手紙」程度で済ませたとすれば姉妹の心に響かなかったと思う。民生委員との連携はどうなっていたものか。衝撃的でありながら事件性が無いこともあって詳細不明である。
この事案を「登山」に喩えるなら、その知識も経験も無い非力な年配のご婦人お二人が、山岳ガイドに頼ることなく軽装のまま重荷を背負って冬山登山に挑戦したようなものである。デフレスパイラルという猛吹雪の中で遭難し、ビバーク(緊急避難的野営)もせずに二人寄り添ったまま凍死してしまったのである。心ある優秀な山岳ガイドが傍にいて、その苦言にも彼女らが耳順っていたのなら結果は大きく違っていたと思う。
このコラム欄の筆者
齋藤 裕 (昭和39年9月生まれ 静岡県出身)
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