<2022.5.2記>
「頭と尻尾はくれてやれ!」という格言がある。最高値(さいたかね=頭)や最安値(さいやすね=尻尾)に拘り過ぎると投資の世界では勝てないことを意味している。江戸時代の米商人で「相場の神様」と呼ばれた本間宗久翁が遺した金言であり、投資の世界では最高値も最安値も誰かに「くれてやる」位の気概が必要ということだろう。要するに「腹八分目」と同じく過ぎたる欲望を戒める言葉である。確かに株式投資で極限値に拘る人は、大儲けする代わりに大損もするし、大損したかと思えば大儲けしたりする。結局のところ浮き沈みが激しく儲けは無い。また、資金力が乏しければ破綻するリスクの方が高い。
この格言は不動産の賃貸事業にも実によく当て嵌まる。「頭」に関して言えば、賃料相場の最高値での入居者募集に拘るあまり、募集開始後2ヶ月以内で入居者が決まるべきところ6ヶ月以上掛かったりする。半年も経ってから下方修正しなければならない事態に陥る場合などは最高値で市場に晒した空室の期間は全くの無駄だったことになってしまう。そればかりか募集条件が厳し過ぎて長期空室となった不名誉な事実だけが残ってしまい負のイメージが付き纏う。(仲介人は募集開始時期を質問されることが多い。事実は曲げられず返答に窮する。)案内が幾度となく徒労に終わる長期戦の末、特殊需要を取り込んで最高値で契約できたにしても本来得られたはずの賃料を割り戻せば、むしろ妥当な賃料で早期契約&早期収益開始とした方が良かったことになりかねない。また、最高値であるが故に短期解約の憂き目にも遭い易い。
因みに私の言うところの「特殊需要を取り込む」とは、所謂「フロック(=フルーク、まぐれ)」の一種であり、不動産取引においては、稀なことではあっても思い掛けない高値取引があることを申し上げている。例えば、同マンション内にどうしても両親を呼び寄せたい(又は、子供・孫を呼び寄せたい。)だとか、この学区の住まいなら多少高くても構わないだとか、何らかの事情で割高な賃料を容認してくれる客層に偶々巡り会うことがある。また、賃料が会社負担であって相場に無頓着な人もいるし、賃料よりも気学(占術)や風水の教えを優先する人もいる。但し、それらの高値取引は確率が低いわけであるから空室期間(=無収入の期間)の拡大を覚悟して臨む市場への挑戦(チャレンジ価格による募集)ということになる。
勿論、投資家として意味なく最安値(尻尾)にする必要も無い。収益還元法に基づく価格査定に照らせば、果実(収益)が少ないなら資産価値も低下してしまう。自虐的に自らの首を絞める必要は無いだろう。だからと言って賃貸借を開始するや否や短期間の内に値上げ要求を目論む作為的な格安賃料なら、もはやそれは最安値と言うに及ばず詐欺的な取引と言わざるを得ない。(割安期間と値上げの時期・額を予め定めておく「二段階賃料の特約」の趣旨とは全く異なる。)だから、家探しをする側も格安賃料に拘って尻尾ばかりを追い求めるのは危険なことである。最安値で募集するような物件には「何かある」と心得ておいた方が無難だ。(格安である理由を確認してから商談を進めた方が良い。)最安値の理由が心理的瑕疵のある事故物件(自殺や殺人のあった部屋)なら合点がいく。「選ぶか、選ばないか」は貴方次第なのである。
尚、長期間住み続けてくれることが期待できる入居者に対して「稼働率100%目標」を意図した割安賃料なら、それは「尻尾」ではなく立派な「投資戦略」である。「苦学生を救いたい」といった義侠心から敢えて割安にした賃料も大義があって「尻尾」扱いするのは貸主に失礼である。
不動産投資(賃貸事業)をテーマに取り上げて、(吉田兼好風に)心に移りゆく由無し事を、そこはかとなく書きつくれば、またもやEQ(Emotional Intelligence Quotient=感情指数、コラム№69「EQ」参照)の重要性に辿り着く。失敗の多くの原因がテクニカル的な問題に無く、心(EQ)の問題にあるのだと。「過ぎたるは及ばざるが如し」も、「浮利を追わず」も、「三方良し」も本質的には同じことを言っていることに改めて気付かされる。
不動産投資とは、果つること無き「我欲」との戦いなのかもしれない。
このコラム欄の筆者
齋藤 裕 (昭和39年9月生まれ 静岡県出身)
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