<2022.12.1記>
世の中には正さねばならぬことも多いが目を凝らせば同じ位に数多く賞賛すべきことがあることにも気付く。私の辛口一辺倒のコラムをご愛読頂く皆様には意外に思われるかもしれないが、賞賛すべき「Good アイディア」を発見した時には口に出さないまでも胸の内で素直に「いいね!」ボタンを押そうと思っている。(どちらかと言うと「Good job!」かな?)私のことを冗談交じりに「人を褒めない奴」と評する人もいるが、それは大きな誤解である。私は常日頃から巧言令色を嫌って率直な物言いをしているに過ぎない。
ある大規模分譲マンションの掲示板に貼り出されたお知らせ内容が目に留まり共感を覚えた。それは、(駐輪場が足りないから)不用な自転車の処分をお願いする急告の末尾に付された一文だった。「不用な自転車の廃棄を希望する旨の申し出があれば、建物管理会社が廃棄手続きをサポートしたうえ、処分費を管理組合が負担する。」と書かれていた。その加筆部分は理事会と建物管理会社が事態(自転車の放置)を打開する為に打ち出した苦肉の策であることを滲ませるものだった。きっと賛否両論あると思う。負担金が少額(東京都中央区で一般家庭の自転車の処分費は800円、処理券をコンビニなどで購入して貼付※事前連絡要)ではあっても管理組合費の無駄遣いと非難する人がいるかもしれない。だが、私の仕事でも類似の問題が多いこともあって、その差配が妙案に思えてならなかったのである。
駐輪場の付置率が適性でありながら、そのコミュニティが極度の駐輪場の区画不足に陥ったのには主に二つの理由があった。まず、自転車を使いもしないのに保管している人が多いこと。駅前だから住んでみると自転車を使わなくなる傾向にあるのだが、月額数百円程度の少額負担だから意味無く保管を続けてしまう。(また、権利を一度放棄してしまったら二度と置けなくなるかもしれないとの疑心暗鬼が無意味な保管継続を助長しているように思う。)もう一つの理由は、退去者が古い自転車を放置したまま引越してしまうこと。要するに「処分する手続きが面倒くさい」だけのことである。ところが、その無責任な人が遠隔地に転居してしまった後、転居先不明の音信不通状態であっても個人の権利(所有権)は法律上強固なものであるから、その自転車を勝手に処分すれば管理組合や建物管理会社が罪に問われかねない。
だから、廃棄処分の手続きをサポートのうえ、処分費を負担してまでも不用な自転車を炙り出し、自転車の置き去りを食い止める為には筋論としては間違ってはいても非常に効果的なのである。むしろ原理原則に従って、放置自転車の所有者の責任を追究することに拘る余り、成果が伴わない労力を費やすことや無駄な通信費を支出することの方が損失は大きいのである。つまり、大規模マンションならではの潤沢な管理運営費のごく一部であることを前提にするが、余裕資金を活用して実益を優先するのは間違っていないと思うのだ。その処分費は本来定期総会の場において実情に即して予算化しておくべきであり、期限を設けて改善(不用な自転車を早期処分、真に駐輪場を必要とする人へ割当て)を加速させると良いとも思った。もし、コンプライアンス上においても問題無いなら、当社ホームページの不用品無償お取り次ぎコーナー(ECO広場)のように中古自転車を再利用して貰うシステムを構築すると更に良いと思う。
管理組合の総会で原理原則を盾に一方的に理事会を糾弾しようとする(揚げ足を取る)人がいるが、半ばボランティア精神で奉仕する理事の方々の悪戦苦闘を気の毒に思うことがある。政治の世界も同じようなものかもしれない。いざ与野党が逆転すればそれまでの正論が脆くも崩れてゆくことだろう。選挙になると財源確保の代替案が無いにも拘らず、声高に「消費税廃止!」を叫ぶ政治家がいるが、その人が経営をしたら会社を倒産させてしまうに違いない。その様な風潮に似て多くの管理組合の運営にポピュリズム(大衆迎合主義)が蔓延っているように思えてならない。また、批判・非難ばかりではコミュニティは纏まらない。是々非々で柔軟に「Good アイディア」を評価、又は意見するのなら代替案を携えての建設的な反論を心掛けたいものである。
このコラム欄の筆者
齋藤 裕 (昭和39年9月生まれ 静岡県出身)
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